2013年11月某日の夜7時頃。
私(当時33歳)はその日の仕事を終えて、実家で家族と他愛もない話をしながらのんびり過ごしていたと思います。
突然、チヒロの息子ハルト(仮名:当時小学6年生)の携帯から電話がかかってきて、こう言われました。
「あのさ。いまママのお葬式が終わったんだ。」
親友チヒロの自死を知る
この電話の日からもうすぐで10年経ちますが、ハルトから言われた「さっきお葬式が終わった」という言葉は今でも耳に残っています。
赤ちゃんの頃から知っているハルト。
チヒロは21歳のときに結婚をして、それを機に福岡から関東に引っ越していたので、ハルトを里帰り出産したときに会って以降は、年に数回チヒロが一時帰省したときに会う程度でした。でも、ハルトが小学校に上がるタイミングでチヒロが離婚して地元に戻ってきたので、それからはチヒロとハルトとは頻繁に会っていました。
そのハルトからの久しぶりの電話が、母親のチヒロが亡くなったという内容。まさかこんな風にチヒロが自殺したことを知ることになるとは想像もしていませんでした。
息子ハルトからの電話
亡くなる数ヶ月前からチヒロは体調がすごく悪くなっていて(断薬と離脱症状が原因。このことは別の記事で書こうと思います)、私はチヒロと時々会ったりメールでやり取りしてたんですが、ハルトとは1ヶ月くらい会えてなかったと思います。
そもそもハルトの携帯番号は知ってたけれど、私に直接電話がかかってくることはこれまでほぼなかったので、「あれ、ハルトから電話とか珍しいな」と思って電話を取りました。
ハルト「もしもし、ショウコ?」
私「おー、ハルト。どうした?なんかあった?チヒロは?」
ハルト「あのさ。いまママのお葬式が終わったんだ。」
私「え?なに?嘘でしょ?」
ハルト「嘘じゃないよ。本当だよ。いまパパと一緒にお葬式から帰ってきたんだ。」
あまりにも予想外の内容で、頭と心がまったく受け付けない。
理解できないのと、嘘であってほしいのと、でも本当にそうなのかもしれない、という思いで頭がごちゃごちゃになりました。
私「嘘でしょ?なんで?そんなの嫌だ。なんで?なんで?」
と言って泣き崩れたのを覚えています。
でも本当は予想外なんじゃなくて、起こってほしくなかったことが本当に起こっただけ。
ハルト「やっぱりショウコは泣くんだね。泣いてくれてありがとう。」
私「パパは?一緒にいるの?」
ハルト「うん。代わるね」
と、ハルトの父親、チヒロの元旦那さんと電話を代わってもらいました。
元旦那さんとの会話
チヒロの元旦那さんとは私も昔から知り合いで、10代の頃はチヒロと元旦那さんと私の3人で遊んだりする時期もありました。チヒロが離婚してからは会うこともなくなってたので、会話をするのは数年ぶりでした。
元旦那「驚かせてごめんね。本当だよ。さっき家族だけでチヒロの葬儀をしたところだよ。」
私「チヒロはなんで死んだの?自殺したの?」
元旦那「そうだよ。友達に伝えてもらえるかな?」
私「わかった。」
元旦那「まだこっちにいるからお参りに来てやってね。」
私「わかった、また連絡する。」
電話のあと、やっぱり信じられなくて、親友が死んだということが嘘であってほしくて、でも絶対にこれは本当なんだと突きつけられて大泣きしました。
共通の友達になんかすぐに連絡できるわけもなく、どうしていいのかわからない。
※以前からチヒロの病気のことを相談していた知人(※現パートナー)にだけ、取り乱した状態で泣きながら電話して迷惑をかけたことを思い出しました。
チヒロの死
チヒロが死んだ。
チヒロが自殺した。
チヒロがこの世からいなくなった。
チヒロに会えない。顔が見れない。声が聞けない。どこにもいない。
一体私はチヒロと最後に何を話したんだろう。どんな別れ方をしたんだろう。別れ際にどんな顔でバイバイしたんだろう。
思い出せない。
「またね」って言って別れたはずだけど、またねがなくなった。2度とチヒロに会えなくなった。
あんだけ大好きだったチヒロが自殺してまった。
一体私は何をしてたんだろう。助けることができなかった。
息子ハルトのこと
ハルトが私に電話をしてきたときに、
「やっぱりショウコは泣くんだね。悲しんでくれてありがとう」
と、普段と変わらない口調で言いました。
彼は、物心がついた頃から精神疾患で苦しんでいる母親と一緒にいました。
チヒロは、病気や薬のせいで普通の生活をすることが難しい時間も長くて、それを一番間近で見てきたハルトは、私が想像するずっとずっと達観して母親のことを見ていました。
だからかもしれないけど、ハルトが泣いている姿を見たことがありません。チヒロが病気で辛そうな時も、病院に運ばれたりした時も、チヒロが亡くなったあと会った時も、ハルトはいつも変わらず明るくおちゃらけていました。
悲しい気持ちに蓋をしているのか、感覚が麻痺してしまっていたのか。チヒロが亡くなったときには悲しかったけれど、母親がもうこれ以上苦しまなくて良くなってホッとしたのか、ハルトの本当の気持ちはわからないけど、彼なりに母親のチヒロに対して思うことがたくさんあったはずです。
チヒロが言ってたこと
今でもチヒロが私に言っていたことや、伝えようとしていたことを考えることがあります。
チヒロが生前、断薬をしたあとに離脱症状で苦しんでいた頃、メールで
「死にたいんじゃない。生きときたいけど生きられない。」
と言っていました。
なんとしてでも元気になって息子との人生を再スタートするために、必死で治るために頑張ってたのに、生きる希望がなくなって、生きられなくなって自ら命を絶たざるを得なくなったチヒロ。
大切な息子を残して自殺を選ばないといけなかったチヒロは、最後に何を想っていたんだろう。
自責の念を抱くということ
チヒロに生きる希望を見せることができなかったこと。それが私のチヒロにできなかったことです。
チヒロの死から10年経った今でもずっと後悔しています。
チヒロと向き合ってやれることを全力でやってたなら、悲しいけど後悔はなかったはずです。でも、当時もっとできることがあったはずなのにしてなかったから一生後悔することになりました。
あとからいくら後悔して改心しても、大切な人が死んでしまったらもう取り返しがつきません。
なので、私はこれからも自分を責めて生き続けることになります。
一般的には
”自死に至るまでには複雑な問題があって、あなた一人が責任を負うものではない”
と言われているしたしかにそうかもしれないけど、だからって自分を責める気持ちは持たなくていいよ、ということではないと私は思っています。
死んだ理由はわからないけれど、「もしかしたらこうしてたら助かったかもしれない」と考えることをやめたら、また同じことが起こってしまうかもしれません。
せめて。せめて二度と同じことを繰り返さないように次に生かすことが、せめてもの亡くなった人にできることだと思います。
チヒロが死んだ原因のひとつに私がある。
日々の忙しさにその気持ちを遠ざけていたんですが、チヒロが亡くなって10年経ったのを機に、私とチヒロの関係の棚卸をするためにも直視する。
そして、自死を止めることができなかった後悔と反省をこのブログに書いて、チヒロや私と同じような状況の人たちにとって役に立つような情報を発信することが、唯一私がチヒロにできる弔いだと思っています。
チヒロの残したFOREVER21のノート
この記事の最初にあるFOREVER21の黄色いノートは、チヒロが亡くなる直前まで使っていたものです。亡くなったあと、「こういうノートがあるんだ」と息子のハルトが見せてくれました。
チヒロのお母さんは怖くて見ることができない、って言っていたので代わりに読ませてもらいました。
そこには一日のやったことや、体調を回復するために勉強していた栄養療法のこと、将来のことや、今の不安なことなど書かれていました。
途中からは、どんどん文字もうまく書けなくなって、誤字脱字が目立つ、殴り書きのような文章が残っていました。このノートに書いていた素直な気持ちを、誰にも話せないまま相談することもなかったのがハッキリわかりました。
このノートを読むたびに、チヒロの悲鳴に近い声を感じます。生きている時に、もっと会いに行けばよかった。話を聞けとけば助けられたかもしれないと後悔しかないです。
勝手にノートを読んでごめんね。せめてチヒロの生きた証をいつまでも残せるようにがんばるよ。
そして、今回このブログの記事用に写真の編集をしていた時に気づいたんですが、チヒロが出産したのが21歳。当時はまだパニック障害やうつ病にもなってなくて、最愛の息子との時間を過ごしていた頃です。
永遠に21歳のままのような幸せな時間が続いていたらよかったのにと、FOREVER21の表紙を見て思いました。チヒロはそんな深い意味もなく使ってたノートだと思うけど、残された人間は勝手にいろんなことに意味付けをしたくなるんですよね。
なんだかまとまりのない終わりになってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。
今日のBGM 「嘆きの雪/小谷美紗子」