”今この瞬間、あなたの大切な人が隣にいるのは当たり前じゃない。”
なんて使い古された言葉だし、そんなこと言われなくてもわかってるよ。
と言いたくなるけれど、結局は大切な人が死んでからしか本当にその意味をわからないんだなぁと実感した10年前。
2013年の秋、親友チヒロが34歳で命を絶ってからもうすぐで10年経ちますが、今でもまだ「もっとこうしてたらよかった」と後悔することがあります。
このシリーズでは、チヒロがあのとき「死」を選ばずに生きとくために、私がやればよかったと後悔していることを書いていこうと思います。今回は、「一緒に時間を過ごす」についてです。
メンタル疾患で怖いのは「孤独」を感じるとき
メンタル疾患でもそうじゃなくても、誰でも一人になりたいときもあれば、一人で寂しいと感じることもあると思います。人間というのは基本的に無いものねだりするものです。
でも、精神的に弱っていたり、メンタル疾患の診断を受けて向精神薬を飲んでいるような人にとっての「孤独」というのは、健常者よりも早い段階で生死に関わってくる大きなことだと知りました。
これは私の持論ですが(※)、メンタル疾患の診断を受けた人の多くの人は医療機関に行ったから「診断名」がついていて、その時にほとんどの人が向精神薬を処方されていると思います。
(※)このブログは基本的に私の主観で書いていて、医学的根拠や科学的根拠があるわけではありません。私の実体験から感じたことを書いていることをご了承ください。
私は、チヒロがまだ元気だった頃と、精神疾患で薬を飲み始めてからのビフォーアフターを見てきました。チヒロだけに限らず、私の現パートナーや、身近で向精神薬を飲み始めた人を何人も知っていますが、どんどんと変わっていく姿を目の当たりにしてきました。
薬の影響で落ち込んでいた気分が薬でハイになったり、テンションが上っている人は一気に落ち込んだり、躁鬱を繰り返していたり、気分の浮き沈みが大きくなることがあります。
周囲から見るとまるで別人になったように感じるようになって、言動や行動もおかしくなったと怖くなって、ちょっとずつちょっとずつその人から距離を取るようになります。
病気で苦しんで、治りたくて病院に行って診断を受けて、処方され始めた薬を飲んだら人格が変わったようになって、気がついたときには周りから理解されなくなって誰もいなくなっていた。
こういう状態になるから孤独が怖いんです。
なぜ私がそう思うかというと、私自身がチヒロを通してその体験をしたからです。
私は、薬を飲んで人格が変わったようになったチヒロから一度離れて、親友だったはずのチヒロに対して「言ってることがわけわかんない。しばらく連絡取るのをやめとこう。」と距離を取っていたことがあったからです。
その頃、私以外の友達たちもチヒロの変化についていけず、ちょっとずつ距離を取って、中には「チヒロが嫌いになった」と絶縁状態になっていた友達もいました。
その時期からチヒロは周囲に期待をせずに、いろんなことを諦めて、孤独を感じていて、そんな辛い中なんとか息子のためだけに生きていようと思って過ごしていました。(チヒロが亡くなったあとに、生前書いていたノートを読んで知りました)
亡くなる前に向精神薬の断薬をして離脱症状に苦しんでいて(断薬や離脱症状については別の記事で詳しく書く予定です)、誰かに助けてもらわないと今日一日を過ごすことも難しいときに、でも誰にも頼れない状況になっていました。
チヒロからSOSはずっと出ていたのに、それに気づかないフリして、ただ心配している素振りをするだけで、一定の距離を保って付き合う私を含めた周囲の人間。
そりゃ、チヒロは死を選んじゃうよね。
こんな薄情な人しかいないんだもん。失望を通り越して、チヒロは周囲に期待をしないと心を閉じてて、でも心の中では誰かに助けてほしくて必死でもがいていたと思うと、自分がどれだけチヒロに対して何もできていなかったを痛感して、だから今でもずっとずっと後悔が残っっています。
その反面、チヒロは情に厚く、誰かが困っていたら好きでも嫌いでも正面からぶつかって、苦しんでいる友達がいたらおせっかいなくらいに相談に乗ってくれるようなタイプでした。
友達が困っている時に離れるくらいの薄っぺらい関係なら、そんなのは友達じゃないとハッキリさせるような人でした。
だからこそ、チヒロ自身が苦しんでいるときに、友達と思っていた人たちが徐々に離れていくことがどれだけ辛かったのか、今思うと本当に酷いことをしたと思います。
前置きが長くなりましたが、私がチヒロにできなかった「孤独を感じさせない」ということ、あの時にやればよかったと後悔していることなので、今回の記事では「孤独にさせない」ことの重要性を書いていきたいと思います。
無関心にならない
チヒロの病気のことに詳しくなくても、なんで性格が変わったのか理解に苦しんでも、どんなときでも関心を持って接すればよかったです。
10年前の私は、パニック障害やうつ病について薄っぺらい知識しかなくて、向精神薬を飲んだ人がどうなっていくのかもわかっていなくて、チヒロのことを理解できていませんでした。
でも、理解ができなくたってどうして辛いのか、どうすれば楽になるのか、私にできることは何かないか、私にできたことはたくさんあったはずなんです。理解できなくてもいい。無関心になることが一番良くないんです。
辛い時にこそ寄り添う
人間って、自分が楽しかったり嬉しかったり居心地良く感じる相手とは強制されなくても自然と一緒にいます。でも、そうじゃないときは一緒にいようとしなくなります。
晩年のチヒロは(親友に対して「晩年」という言葉を使わないといけないのが辛い)、根底にはもともとの元気だった頃のチヒロの性格は残ったままでした。でも、薬が原因で感情のコントロールが全然できない時や、廃人のような状態のとき、コミュニケーションが取れなくて、まるで別人になったような時もありました。
本人のせいではなく、薬や環境のせいで変わってしまったことに誰よりも苦しんでいるのは本人です。チヒロはその状況から逃げ出せずにいるのに、私はその苦しみに寄り添おうとせずに安易に離れてしまいました。
楽しいときに一緒にいるのはなんにも難しいことではありません。
大切な人が苦しんでいるときこそ、寄り添ってそばにいるということで孤独という不安を減らしてあげればよかったです。
良いことも悪いことも受け入れる
みんな、元気なときなら自分の好き勝手に誰かと連絡取ったり音信不通になったり、会ったり会わなかったり、付き合ったり離れたりするものだと思います。
でも、精神疾患で薬を飲み始めると言動や行動や性格が変わります(私のこれまでの経験上)。当然、嫌な部分も見えてきます。
でも仕方ないんです。望んでいないのに、薬のせいでコントロールできなくなって思ってもない事を言ったり、奇々怪々な行動をしたりしてしまうんです。
それでも、それが今のチヒロなんだと受け入れてくれる存在が、あの頃のチヒロにとって必要だったと思います。
表面だけの付き合いだと、病気だからと気を使った素振りをして相手に配慮しているふりをして距離を取ってしまうけど、大切な人なんだから、今がどういう心境なのか、何が辛いのかを聞きながら隣にいればよかったです。
会いたい、と言いやすい雰囲気づくり
あの頃のチヒロは、時には一日中動けないくらいまるで廃人になったように過ごしていて、元気なんかもちろんまったくなく、頭もうまく回らずに、毎日「死」と隣合わせの状態で過ごしていたわけで、周囲との関わり方を考える余裕なんてなかったはずです。
ましてや、自分の精神状態がおかしくなってることを自覚していたら、「こんな自分、なんて思われるんだろう」と人と会うことが怖くなっていたと思います。
誰だってそうですよね。私でも、自分が弱っているときは人に見られたくないし、知られたくないと思って隠してしまいます。
でも、精神疾患で弱っているときは話は別だと思っています。誰かがサポートしないと危険な状態が必ずあります。一人で乗り切れるほど簡単なものではないと知りました。
だからこそ、周囲の人が声をかけたり、気にしたり、いつでもチカラになるということを本人に伝えておくことがとても大切になります。
まとめ
チヒロが会うことを望んでないなら無理して会う必要はなかったけれど、私はもっと時間を作ってチヒロの話を聞いて、会いに行っておけばよかったと後悔しています。
孤独を感じさせない瞬間を少しでも多く作ってあげられてたんじゃないか、と。私の独りよがりかもしれないけれど、孤独か孤独じゃないかが分かれ道だったと思っています。
人生においての優先順位を間違えないようにしないと、取り返しのつかないことになると知りました。大切な人が辛いときこそどれだけ一緒の時間を共有できるか。その選択で結果が変わるかもしれない。
みなさんも、大切な人が辛いときには「そばにいるからね」と伝えてみてください。
今日のBGM 「友達の唄/BUMP OF CHICKEN」